格差社会について 格差の正体とは

マスコミやインターネット上では、相変わらず「格差社会幻想論」が根強いようである。やはり、「格差」という言葉だけをとりあげて、実態について調べることも無く、ただ「個人の能力の違いで格差があるのは当然だ」とか「昔から格差はあった」などとヒステリックに空論を並べるばかりのものがほぼ100パーセントである。

だが、たしかに「格差」という言葉そのものが、非常にあいまいでかつ不適当である。なぜもっと率直に、「不平等社会」「不当社会」と呼べないのか。

私もまた、当初は「格差」という言葉の意味がよくわからなかった。所得の差がある以上、経済的な差があるのは当然である。では、どうして今更「格差社会」などということを問題とするのか。だが、冷静に勉強し、労働現場でのいろいろな方の話を聞き、さらに多くの意見や情報をもとに考え直すうち、「格差」というものの正体についてしだいに理解できるようになった。

否定論者の仰るとおり、日本には昔から「格差」すなわち貧富の差はあった。いや、格差が無かった時代は無かったといえよう。徳川体制の江戸時代や、三井・岩崎・住友・安田といった財閥が日本経済の7割近くを支配していた戦前は、現在など比較にならないほどの格差が存在していたことは明白である。さらに、現在においても、アジア諸国では日本の現在など比べ物にならないほどの貧富の差があることは明らかだ。

だが、問題はそうしたことではない。そもそも、「昔から格差はあった」とか「中国に比べれば日本の格差はわずかなものだ」などと発言しても、何の意味も無いことである。格差を単に「貧富の差」と平板かつ単純に考えてしまっては、現在の日本の問題点などなにひとつ把握できない。

現在、問題とされているのは、ひとつに「同一労働に対する格差」である。同じ労働時間量、同じ作業量、同一のクオリティの仕事といった、量と質においてまったく同じ仕事をしていながら、人によって賃金や報酬に「格差」が生じてしまうことである。同じ仕事なのに格差がある。だから問題となってしまうわけである。

どうして差が生じるか。もっとも代表的なのが、正社員と契約社員・派遣社員・パート・アルバイトである。人によっては、「正社員に比べて、パート・アルバイト・派遣社員は責任も少ないし時間的にも自由だろう」という意見もある。たしかに、以前はそうであった。しかし、ここ数年でたとえ契約社員やアルバイトであっても、正社員並みの責任を背負わせられ、時間的な拘束も過酷になっている現状が増えている。マスコミでは正社員の比率が低下し、アルバイトなどの非正規労働者が増えている実態を報じているが、それはアルバイトにも正社員と同じ労働を課せながら、賃金的には「時給いくら」で働かせるケースが増えていることを示している。

筆者が取材したケースでも、採用時には「勤務は7時間のみ。理由があれば欠勤も可能」という条件だったパート勤務が、実際には1~3時間の残業を余儀なくされ、病気などの正当な理由があっても休めないという主婦の話を聞いた。こうした例は、私が聞いただけでも数多い。

このように、「正社員になる能力も意欲もあるのに、アルバイトやパートとしてしか働かせてもらえない」「どんなに頑張って仕事をしても、低収入しか得られない」といった、不当としか思えないケースが少なくない。努力や誠意が評価されない社会、それが「格差社会」の正体である。

にもかかわらず、「格差など自己責任だ」「格差などと主張する連中は努力が足りない」などと、実態を見ることも無しに自分勝手な憶測だけで、弱いものいじめとしか思えない意見を得意げに公表する意見がインターネット上でも実に多い。しかも、そうした「思い込み発言」に対して、「歯に衣着せぬ勇気あるご意見」などと賞賛するコメントを書く人がいることに、驚嘆を隠せない。あたかも、弱いものいじめをする者を「勇敢な英雄だ」と賞賛するような、醜悪極まりない言動としか考えられない。

近いうちに、「自己責任」という言葉を乱用する極めて凶暴な現状について管見を述べたいと考えている。

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この記事へのコメント

2006年12月17日 13:40
「歯に衣着せぬ勇敢なご意見」この賞賛は、そっくりそのまま、多摩のいずみさんに与えられる言葉です。真のジャーナリズムを見ました。
多摩のいずみ 
2006年12月17日 23:48
>沢里さん
コメントありがとうございます。
誠に傲慢な物言いかもしれませんが、私は賛辞など少しも欲しいとは思いません。むしろ、管見に対する反論こそ希望しています。
いろいろなブログを見ていると、ユニークな意見を気取った思い込みを書き並べ、それに賞賛ばかりのコメントが多数ぶら下がっているのを見ると、あたかも軍事政権や独裁政権のメディアを連想させ、吐き気を催すほどです。
健全な意見には、健全な反論が存在するものだと思います。また、賞賛するにしても、その理由はさまざまなはずです。
全員が手放しで空虚な賛辞を贈るというのは、異常で不健全としか私には感じられません。

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